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「100年天気図データベース」とは、天気図という科学の成果を対象とした歴史資料のアーカイブである。このアーカイブが象徴するものといえば、気象人に脈々と受け継がれてきた「観測精神」であると言えるだろう。
観測精神とは何か。それは日本における気象学の開拓者として名高い気象学者(中央気象台長)岡田武松が創った言葉である。具体的な言葉については、柳田邦男著「空白の天気図」の123ページ付近で紹介されているが、その一部をここに抜き出してみよう。
観測精神とは、あくまで科学者の精神である。自然現象は二度と繰り返されない。観測とは自然現象を正確に記録することである。同じことが二度と起こらない自然現象を欠測してはいけない。それではデータの価値が激減するからである。まして記録をごまかしたり、好い加減な記録をとったりすることは、科学者として失格である。
気象人は単なる技術屋ではない。地球物理学者としての自負心と責任とを持たなければならない。観測とは、強制されてやるものではなく、自分の全人格と全知識をこめて当たるものなのである。
観測の記録は、精度を増すために測器による読み取り値を用いるが、実は観測者の観察による諸現象の記述が最も大切なものなのである。然るにどうしたことか、観測とは測器の読み取りだと速断するようになり、観察を軽視するようになってしまった。近頃では観測は初心の女でも子供でもできると考えるものがあるが、これは測器の読み取りと観測とをごっちゃにしたものである。単に読み取りだけならば、ある種のものは自記器械による方がましである。
気象全体の模様などは決して測器に出て来ない。これらは観測者が絶大の注意を払って観察し、できるだけ詳細に書き付けて置くよりほかに方法はない。従って測器の読み取りにしたところで軽々しくこれを行うべきではない。十分な注意と熟達した技術で行われなければならないという精神がそこに宿っていなければならない。それ故に、観測者で当番のものは、寸分たりとも気を他に転ずることはできないのは勿論だが、当番でないものも常に自分は観測者であるという心掛けで注意していなければならない。
気象学の進歩は観測の成果によって進歩したのではない、力学や熱力学を応用したためである、と従来言われている。表面だけ見ると、なるほどと首肯される。しかし力学や熱力学を応用するには、その基礎となるものがなくては叶わない。これは気象観測の成果から得られたものである。早い話が気象学の進歩は天気図に負うところが多大であるが、天気図は気象観測を資料として製作されるのである。
天気図とは地上や高層の気象観測データを統合して地図に可視化したものであり、その空間的/時間的な変化のメカニズムを理解することが将来の天気の予報に欠かせないという意味で、天気図は日本における気象学および気象事業の要となる存在であった。ゆえに、気象庁およびその前身の気象台が1883年3月1日以来約130年以上にわたって日々製作してきた天気図は、日本の気象人が指針としてきた観測精神のアーカイブとも言え、日本の長期気象観測の歴史を記録した資料として大きな価値を持つのである。
観測精神に述べられているように、同じことが二度と起こらない気象現象を日々記録してアーカイブしていくことは気象人の使命である。たとえ台風の暴風によって吹き飛ばされそうになる日があっても、気象人はいつものように定時に観測し、その結果を天気図にまとめなければならない。そして、第二次世界大戦の開戦の日や終戦の日のように、歴史が大きく動いた日にも天気図はいつものように製作された。とはいえ、終戦の日の天気図をよく見てみると、気象観測データが入電していない地点が多数あることもわかる。本土爆撃で通信網は破壊されたし、いくら観測精神とは言っても終戦時の混乱で正常な観測ができない地点もあったことだろう。終戦の日における観測データの空白。いつもと変わらぬ天気図のように見えても、そこには人間社会に起こった大きな変化の痕跡も見え隠れしているのである。
データベースの中心的な存在となる天気図画像データは、1989年3月以降は「気象庁天気図」CD-ROMとして、それ以前は「気象庁天気図DVD版」として、一般財団法人気象業務支援センターが販売するデータを購入したものである。これらの画像データを統一的な方法で抽出し変換することで、年月日で天気図を検索・表示できるようにした。初期の天気図は日本周辺およびアジア太平洋域の地上天気図1種だけであるが、徐々に種類は増えて現在は8種類に達している。時系列で見ると少数ながら不規則な欠落はあるものの、おおむね連続性は保たれている。ただし1923年9月1日の関東大震災直後は、当時の中央気象台の焼失が原因とみられる欠落が20日ほど存在する。
その結果、2016年2月現在で、地上天気図で108,599件、全体で232,298件の天気図データベースを構築し、2014年1月に試験公開、2015年11月に一般公開に入った。公開にあたっては気象庁のデータポリシーに従い、気象庁提供データの利用であることをクレジットで明記している。
データベースの当初の構想は、幾何補正(ジオレファレンス)済み天気図データベースの構築であった。しかし、10万枚を越える天気図を手動で幾何補正することは不可能であることから、プロセスの自動化が鍵を握ることとなった。そこで、参照画像における緯度経度交点の座標を収集した上で、任意の画像を参照画像に座標変換するパラメータを推定することで、任意の画像を自動的に幾何補正する方法を開発した。ただし図法が不明確な天気図もあることから、幾何補正は緯度経度のブロック単位で変換することとした。
その結果、1958年8月以降の地上天気図はおおむね問題のない水準に達したことから、幾何補正済みの地上天気図をGoogle Earth、Google Maps、Cesium等のジオブラウザでオーバーレイ表示できるようにした。一方1958年7月以前については、地上天気図の保存状態が悪い場合があること、天気図フォーマットの変化が激しいことなどから、幾何補正が完了する見通しは立っていない。
次の課題はアーカイブの利便性向上である。上述の方法で年月日による検索は可能になったものの、メタデータが欠けているため高度な検索ができないという問題があった。そこで天気図のファインダビリティを向上させるため、以下の4つの機能を開発した。
今後の課題は天気図という画像データに埋もれた情報の掘り起しである。テキスト文書であればOCRによる文字の自動抽出も可能であるが、天気図は線の重ね書きが多いため、ソフトウェアによる自動抽出は困難である。そこで、クラウドソーシングやシチズンサイエンスの方法論を用いて、科学者も市民も天気図から情報を抽出する活動に参加できる仕組みを用意することが望ましい。この方向では世界のいくつかのプロジェクトが実績を有しているものの、本研究に適用する際には以下の課題がある。第一がトレーニングであり、気圧単位の違いなどデータの抽出方法に関する基礎知識を共有する必要がある。第二が科学への貢献であり、参加する市民のモチベーションを高めるには、天気図という歴史資料を現代の科学に活用する道筋を明確に示す必要がある。
天気図製作の基礎となる気象観測データのアーカイブについては、本サイトでは気象観測がアメダスに移行した1976年移行のデータをアメダス統計 - 過去のアメダスデータの分析と観測地点の情報としてまとめている。一方、気象衛星データのアーカイブについては、デジタル台風はそもそもそれを目的として始まったものであり、日本で公開しているひまわり気象衛星データとしては最長の1978年12月以降のデータを提供している。
原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」
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