1. Cyclone NARGIS(ナルギス) - ニュース

2008年5月2日

サイクロン・ナルギス(国際名:NARGIS、米国合同台風警報センター番号:01B)は2008年5月2日に、かなり強い勢力でミャンマー南部に上陸した。このサイクロンは発生後、しばらくベンガル湾の中部で停滞している間に一時は衰えたものの、ミャンマー上陸直前に急速に発達し、ミャンマーに上陸したのはちょうど勢力がピークに達するころであったと見られる。上陸直前にはサイクロンの眼もはっきりと見えており、このサイクロンが非常に強い勢力にまで発達したことが見てとれる。

昨秋バングラデシュに上陸して死者3,000人以上の大きな被害となったサイクロン・シドルと比較すると、ピーク時の勢力は多少は弱いものの、この地域ではかなり強いサイクロンであることは確かであり、現地での災害が懸念される状況である。

2008年5月3日

サイクロンは、ミャンマー南部を横断して首都のヤンゴンを直撃した後に、タイ北部へと進みつつあり、この地域での降水量の増加や洪水などにも警戒が必要である。ミャンマーでは依然として電気や通信が途絶した地域が多く、被害状況の詳細はまだ不明である。

2008年5月4日

サイクロンの直撃から1日半が経過した4日になって、ようやくミャンマーの被害状況が入ってくるようになった。死者は240人以上、さらに増える恐れがあるとのこと。電話やインターネットが多くの地域で不通となっており、被害の確認も進んでいないようである。エーヤワディー(イラワジ)川デルタ地帯や島嶼部の被害が特に大きいようで、その後死者数は350人以上に更新された。

2008年5月5日

5日昼になって新しい被害状況が発表されたが、死者約4,000人、行方不明者約3,000人と、前回の情報から数字が大幅に増加した。数十万人が家を失ったという情報もある。おそらくミャンマー(ビルマ)独立以来、あるいはここ100年間で最大規模の自然災害になっているのではないかと考えられる。例えばEMDAT - The International Emergency Disasters Databaseによると、ミャンマーでの大規模な自然災害としては、1926年5月19日に嵐(サイクロン?)で2,700人死亡、1968年5月10日に同じく嵐により1,070人死亡という記録があるものの、今回の自然災害は既にそれらをはるかに上回る規模に達している。

5日夜になって被害状況はさらに大幅に拡大し、死者10,000人以上と伝えられた。高波によって村が丸ごと壊滅した場所などもあるようで、まだ死者数は増える可能性がある。またこの時期はちょうど米の収穫期に当たるため、食糧の面でも最悪の被害となった。この状況を受けて、ミャンマーの軍事政権はようやく国際援助を受入れることを決めたが、援助グループは国内での移動や通信が制限されるなど、迅速に援助を展開することは難しいようだ。政治の面でも5/10に国民投票を控えるという微妙な時期に襲ったサイクロンであるが、この災害にうまく対処できるかどうかがミャンマーの政治情勢に大きなインパクトを与えるかもしれない。

2008年5月6日

6日の発表では、死者数15,000人以上、約30,000人が行方不明と、被害はさらに増加した(その後、さらに死者22,500人、行方不明者41,000人に増加)。特にイラワディ管区のボガレイ(Bogale)では、95%の家屋が倒壊し、人口約19万人のうち1万人以上が12フィート(約3.6メートル)の高波に飲まれて死亡したとのことである。この付近は河口のデルタ地帯で低地が広がっているため、高波が襲ってくれば周囲に避難する場所はない。バングラデシュなどでは低地にサイクロンシェルターを作って避難場所を確保しつつあるものの、ミャンマーではそのような防災インフラの整備が非常に遅れているのかもしれない。

2008年5月7日

6日から7日にかけてようやく国際的な救援活動が本格化してきたが、国際的な救援活動が国内で展開されることに軍事政権は積極的でなく、一刻を争う救援活動が対応の遅い軍事政権によって手遅れになりつつある。食糧も水も不足し、コレラなどの疫病発生の危機も迫りつつあるが、軍事政権は国民投票の行方も気になるようである。また折からの世界的な食糧価格高騰により、援助物資の購入にも多大なコストが必要となっているが、ミャンマーの穀倉地帯はサイクロンで壊滅しているため、現地では今後も食糧不足が続くことが予想される。このサイクロン災害に関しては、すべてが悪いタイミングで重なっているように見える。

軍事政権が警報を十分に出していなかったのではという批判も加わってきた。サイクロン・ナルギスは最初はバングラデシュへの上陸が予測されていたが、上陸の2日ほど前にはミャンマーに接近するという予測に変わっていたため、警報を出す時間的余裕は十分にあったと考えられる。ただし警報が出ていればどのくらい被害は小さくなりえたか、という問題については、現地の事情がわからないと何とも言えない。そもそも現地では情報伝達インフラの整備が遅れているだろうし(*1)米軍合同台風警報センター(JTWC)によって推定されたサイクロンの勢力(*2)(上陸の6時間前が勢力のピーク)からは、日本でも沖縄・小笠原以外にはあまり来ないほど強い勢力の熱帯低気圧であったことがわかる。

時間 タイミング 最大風速 最大瞬間風速 速さ
5月2日06UTC ピーク時 115ノット(59m/s) 140ノット(72m/s) 10ノット(19km/h)
5月2日12UTC 上陸時 105ノット(54m/s) 130ノット(66m/s) 10ノット(19km/h)

(*1) 隣国バングラデシュの気象情報の現状を読めば、情報伝達を支えるインフラ(ハードウェアおよび人々への教育)がなければ、たとえ警告を発してもうまく伝わらないことがわかる。しかしこれでも、バングラデシュの方がミャンマーよりもサイクロン対策は進んでいるのである。

(*2) なおインドの気象局(India Meteorological Department)はこれとは異なる推定値を出している。またJTWCの推定値は高めに出る傾向があるので、日本の気象庁が発表する風速とは単純比較できない。

2008年5月8日

ミャンマーを襲った過去のサイクロンと比較して、サイクロン・ナルギスにはどのような特徴があるのだろうか。ここでは以前に紹介したEMDAT - The International Emergency Disasters DatabaseおよびWikipediaを参考にし、Unisys Weatherのデータを活用して経路図を作成する。過去にミャンマーを襲ったサイクロンをいくつかピックアップして、それらの経路を比較してみたい。

台風名 ミャンマー上陸日 経路図(UNISYS) 死者数 (EMDAT) 被災者 (EMDAT)
Cyclone 196510 1965年10月23日 経路図 100 500,000
Cyclone 196702 1967年5月16日 経路図 100 130,200
Cyclone 196712 1967年10月23日 経路図 178 -
Cyclone 196801 1968年5月10日 経路図 1,070 90,000
Cyclone 197503 1975年5月7日 経路図 - -
Cyclone 198201 1982年5月4日 経路図 - -
Cyclone 199201 1992年5月19日 経路図 - -
Cyclone 199402 1994年5月2日 経路図 - -
Cyclone MALA 2006年4月29日 経路図 22 (Wikipedia) -

上記の過去のサイクロンの経路をサイクロン・ナルギスの経路と比較するために、すべてまとめた経路図を作成してみた。この図から見えるサイクロン・ナルギスの経路の特徴は、北緯16度線付近から北上せずにほとんど真東に進み、エーヤワディー(イラワジ)デルタ地帯のど真中を横断していった点にあることが見えてくる。そしてこの経路は以下のような危険性をはらむ、ミャンマーにとって最悪の経路であるとも考えられるのである。

  1. 中心付近の強風が人口密集地帯を通過するため、家屋の損壊などが発生しやすい。
  2. 南〜西よりの強い風が高波を引き起こしてベンガル湾から多量の水を内陸へと送り込むので、海岸沿いの低地では高潮による洪水が起こりやすい。さらに強いサイクロンの中心が付近を通過するので、気圧低下による水の吸い上げ効果が加わって高潮は激しさを増す。
  3. 海からほど近く、川や水路、水田などが豊富な湿潤地帯を通過するため、上陸後も勢力が衰えにくい。

それに加えて、サイクロン・ナルギスはミャンマー上陸前に急速に発達し、上陸時の勢力がそもそもこの地域ではかなり強い部類だった。このようにサイクロン・ナルギスでは、すべての要因が災害を大きくする方向へと重なったように見える。例えばサイクロンがもう少し南か北を通過していれば、高潮はここまで大きくならなかったのではないか?サイクロン・ナルギスによる大規模な災害は、この経路をこの勢力で通った場合にのみ起こりうるというほど、考えうる最悪の仮定(ワーストケースシナリオ)に近いものだったかもしれない。まさに悪夢のサイクロンであろう。

2008年5月12日

軍事政権は5月10日に被災地域を除く地域で国民投票を実施し、大きな混乱もなく国民投票は終了したと伝えられている。しかし120万人〜190万人がサイクロンで被災し、救援活動の遅れで危機が加速している中での国民投票の強行によって、この軍事政権の異常さは世界に知れわたることとなった。24日には被災地域で延期された国民投票も控えているが、それを気にするあまり救援活動がさらに遅くなれば、サイクロンそのものによる犠牲者よりも、その後の感染症や食糧危機などの二次災害による犠牲者の方が多くなる可能性もある。軍事政権が国外からの物資援助を受け入れつつも人的援助を拒む理由としては、国内の状況を外国人に知られたり国内で外国人に工作されたりすることを恐れているのではないか、また外国からの救援物資を軍事政権が受け入れて「ラベルを付け替え」自分たちの救援物資としてコントロールしたいからではないか、などとも言われている。

軍事政権が発表する死者数も6日あたりからほとんど変化なく、12日現在では死者28,458人、行方不明33,416人ということになっている。一方で国連人道問題調整事務所(OCHA)による55の地域を対象とした推定では、死者は63,290人から101,682人、そして220,000人が行方不明と、両者の数字には大きな開きがある。少なくとも軍事政権の集計がここ数日変化がないところからも、軍事政権の公表する数字の信憑性が高いとは思えない状況である。

2008年5月13日

12日にはその後に被害状況が更新され、軍事政権発表が死者31,938人、行方不明が29,770人となった。合計すると死者不明6万人程度ということになる。一方、先の国連(OCHA)の集計にも誤りがあったようで、改めて推定した結果は死者不明を合わせて最高10万人のようである。13日の軍事政権の発表によると、死者34,273人、不明27,836人となった。

2008年5月14日

14日の未明には、新たなサイクロンがミャンマーで発生する可能性が高まり、JTWCからTropical Cyclone Formation Alert (TCFA)が発令された。この情報はサイクロンが発生する恐れがある時に出されるもので、後に取り消されることもあり、まだ発生が確定したわけではない。渦巻の中心はヤンゴン付近にあって、しだいに強まる気配を見せている。現在は陸上に中心があるため発達が阻害されることも考えられるが、万が一発達してサイクロンになれば、ミャンマーで発生したサイクロンということで、ナルギス以上に稀な事例となるのではないかと考えられる。

また軍事政権の情報伝達について新たな情報も出てきた。Weather UndergroundのDr. Jeff Masters' WunderBlogで紹介されている記事で、Another Storm Front Approaches Burmaによると、サイクロン・ナルギスの進路予測についてはミャンマーの気象・水文局 (Department of Meteorology & Hydrology)も把握していたが、その公表に当たっては軍事政権側から「国民投票を前に市民にパニックを起こさないように」と言われたというのである。本当かどうかは俄かに判断しかねるが、そういう理由もあって警報が控えめになったという可能性もある。またTHE NEW LIGHT OF MYANMARの5月2日の記事には、Storm Newsという形でサイクロン情報(情報が出たのは5月1日の現地時間19時)が掲載されており、天気図にも東北東に進路を取るサイクロンが描かれている。他の情報も総合すると、ミャンマーで5月1日から5月2日にかけてサイクロン情報が出ていたことは確かのようだ。

しかしサイクロン・ナルギスの場合、サイクロンが急発達して危険性が急上昇したのは、あいにく上陸の少し前である。確かにサイクロンが発達するという予報も出ており、最悪のケースに対して予防的に備えることはできたはずだ、と言う人がいるかもしれない。しかし予報と現実はやはり別物である。実際に発生した情勢の急変に対して適応的に対処しようとしても、1日単位のスピードでしか動かない情報伝達システムではそもそも困難がある。今回のサイクロンの情報伝達問題については、軍事政権側がサイクロンの危険性を意図的に過小評価したのかという問題と、そもそも情報伝達インフラがあまりにお粗末であった(これは一概にミャンマー固有の問題とは言えず、多かれ少なかれ途上国に共通の問題)、という問題の両方について考えていく必要がありそうである。

2008年5月15日

14日の未明に発令されたTCFAは15日の未明には取消(キャンセル)となり、ミャンマーでサイクロンが新たに発生する恐れはひとまず小さくなった。

2008年5月17日

軍事政権による発表に大きな動きがあった。以前に発表されていた情報では、死者43,318人、不明28,000人ということだったが、16日夜の発表では死者77,738人、不明55,917人といきなり大幅に増加した。コレラなどの感染症の発生報告も入りはじめ、飲料水の不足と食糧の不足が懸念されているが、軍事政権は相変わらず人的援助の受け入れを拒んでおり、なかなか国際的な救援活動は進んでいない。一方で軍事政権は物資援助は歓迎しているものの、外国からの救援物資が軍事政権の救援物資として配布されたり、さらには一部が横流しされて市場で売られたり、というニュースも入ってきており、ある意味予想通り(?)の展開が始まっている。これでは外国からの救援物資は肝心の被災者の手元には届かずに、却って軍事政権の権力増大に寄与することにもなりかねない。

またサイクロン被災地域の現地調査によると、サイクロンによって発生した高潮はヤンゴン川を100キロも逆流したことが判明した。サイクロンが通過した2日夜〜3日未明、河口近くから100キロ上流までの流域各地で水位が3〜4メートル急に上がり洪水が起きただけでなく、田んぼに水を引く水路を伝って内陸にも達し、浸水は5〜36時間続いた。

2008年5月25日

24日には被災地での国民投票も無事に(?)終わって不測の事態も避けられたので、軍事政権の今後の戦略的課題は国際的な援助をどれだけ多く獲得できるかに移ったようだ。5月23日には国連事務総長の潘基文(Ban Ki-moon)と軍事政権トップのタン・シュエ(Than Shwe)との会談が行われ、友好国に限定しない人的援助の受入れがようやく決まった。こうして国連の顔を立てる形で援助の受入れを決めた軍事政権は、サイクロンの被害額として107億ドル(それに対する復興費用として117億ドル?)という数字を出してきた。また軍事政権は550万人が被災したと発表しているが、これは国連等の推計による被災者240万人を大きく上回っており、数字を小さくみせる隠蔽体質から一転して今度は数字の水増しを始めることも考えられる。こうした状況で、援助が本当に被災者のため、あるいは災害に脆弱な地域の防災のために使われればよいのだが、もしもこれが軍事政権を利する形で使われれば、軍事政権にとってサイクロンは儲けものだった、ということにもなりかねない。

今後は人的援助の受入れを契機として、現地で危機的な状況に陥っている被災者(特に子供が40%以上を占めると言われている)への緊急的な援助を迅速に進めていく必要がある。それと同時に、各国の専門家調査団が現地の被害状況を調査し、調査結果に基づいて今後の救援活動の優先順位などを決めていくことになる。ただしこうした活動がどのくらいスムーズに実行できるかについては不透明な部分が大きい。各国による援助活動が軍事政権よりも効果的に実施されれば軍事政権の威信は低下するかもしれず、その懸念がある限りは援助活動に各種の制限がかかる可能性もあるからである。短期的な援助から中長期的な復興へと、国際社会(そして援助主要国である日本)はミャンマーをどのように支援していけばよいか、それは高度な政治的課題となりそうである。

さらに詳細な情報については、Wikipedia : Cyclone NargisGoogle Newsも参照。

2. Cyclone NARGIS(ナルギス) - データ

最新画像

可視画像

アニメーション(動画)

経路図

サイクロンNARGISの経路図

【注意】上記の経路図はTropical Storm以上の強度の期間のみを対象とした経路図であり、Tropical Depressionの強度の期間は含んでいない。

関連情報

3. リンク集