(注)本ページは、一部を除き、2011年のゴールデンウィーク中(4月下旬から5月初旬)にまとめたもので、その後に新たに判明した事実などは更新しておりません。現在でも大きな変更は必要ないと考えていますが、ご利用の際にはご注意下さい。なお脚注に関連する部分のみ、2011年7月中旬に更新しています。また日付(年)の誤りは、2012年2月12日に修正しました。
福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)
以下では福島第一原発事故タイムラインを追いながら、ドキュメンタリー風に事態の推移をまとめていきたい。
日々の動き
2011年3月11日
2011年3月12日
-
[10:00]
10:17に1号機のベント。この影響で構内でも放射線量率の上昇が見られ、10:30に正門で385.5μSv/hを観測。この時点では北北西の風によって、南南東の海上へと放射性物質は主に流れていた。
-
[15:00]
15:36に1号機の建屋が爆発。この時間帯は北風が東風から南風へと回転する途中の時間帯であり、内陸に放射性物質が流れた時間帯もあった可能性はある。しかし風向きが回転を続けていたため、集中して1箇所に流入することはなかった。
-
[17:00]
17:00頃には強い南風となった。南相馬では、17:46には放射線量率が0.82μSv/hに上昇しており(平常時は0.05μSv/h程度?)、この時点ですでに放射性物質は到達していたと推測される。南相馬は原発の北約24kmに位置するが、建屋爆発の2時間後の観測値の上昇が建屋爆発の影響によるものかどうかは不明である。どちらかというと、朝からのベントで放出された放射性物質が到達していたのではないかと思える(*1)。
-
[20:00]
南相馬の放射線量率は上昇を続け、20:00には17.08μSv/hに上昇。この時間帯に、福島第一原発からの風がちょうど南相馬を通る方向に回転してきたと考えられる。その後21:00には20.00μSv/hにまで上昇したものの、22:00には12.00μSv/hに低下し、それ以後も減少を続けた。これは福島第一原発からの風向がさらに回転して、海上方向に向いたためであろう。なお南相馬においては、この時間帯の放射線量率が、期間を通して最大の値である。
-
[23:00]
しかしこの風向の回転によって、プルームは海上を北上することになり、約110km離れた宮城県の女川原子力発電所に到達する。ここでは21:00頃から放射線量率が小刻みに上昇を始め、日が変わった13日の2:00頃に最高値の21μSv/hを記録した。ただしこの北上の時間帯の後、風向きは南西風に回転したため、大部分の放射性物質は海上へと移動することになった。
2011年3月13日
-
[09:00]
午前中は陸から海に向けて微風が吹く環境が続いた。午前中に3号機と2号機のベントがあったため、構内でも放射線量率が増加したが、どうやらこれは北方の海上に向けて広がったようである。
-
[18:00]
夜になると陸から海に向けての風が強まったため、大部分の放射性物質は海上に流れたと考えられる。
2011年3月14日
2011年3月15日
-
[00:00]
0:02に2号機をベント。この時点では風向きがすでに北風に変わっていた。北風に乗って放射性物質は福島浜通りを南下。
-
[04:00]
いわきでは1:00に4.22μSv/h、4:00に23.72μSv/hを観測した。いわきは原発から約43kmであるため、22:00頃に風向きが変わってから2時間ほどの1:00頃に最初のプルームが到達、そして2号機のベントでより濃度が高まったプルームが2:00-4:00頃に到達した可能性がある。
-
[05:00]
放射性物質は北北東の風に乗ってさらに南下し、関東各地に到達した。まずは茨城県のモニタリングポストで放射線量率が急上昇し、その後は関東各地のモニタリングポストでも放射線量率が急上昇した。ただし、この日は雨が降らなかったこと、そしてキセノン133 (Xe-133)などの希ガス成分が多かったことなどにより、沈着はあまり起こらずに放射性物質は通り抜け、その後は放射線量率も急速に低下した。
-
[06:00]
状況はさらに悪化して6:10には2号機で爆発。圧力抑制室が爆発して格納容器というバリアが破られた可能性がある。そして正門では8:31に8217μSv/h、9:00に11930μSv/hと、正門の計測値としては最大を記録した。続いて4号機では9:38に火災が発生。使用済み燃料プールの水位が低下して燃料棒が溶融したとすれば、覆いがない使用済み燃料プールからも継続的に放射性物質が放出された可能性がある。3/15の朝に大量の放射性物質が放出されたことは間違いない。
-
[10:00]
3/15朝の風向きは北風なので、この時点での放射性物質は原発の南方に広がったと考えられる。ただし、いわきでの計測値が8:00以降は低下していることを考えると、この時のプルームはおそらくいわきには到達しておらず、もう少し内陸の阿武隈山地方面に流れた可能性がある。また大量の放射性物質が継続的に供給されていたため、塊状というよりは帯状に流れていったものと考えられる。
-
[11:00]
昼頃にかけて状況が変わってきた。関東から徐々に、南東風の領域が北上してきたのである。11:00頃には福島県南部もその領域に入ったため、浜通り沿いを南下していた放射性物質の帯は徐々に内陸へと押し流され始めた。これが私が名付けた「南ルート」である。阿武隈山地を越える放射性物質は川内村で記録されており、10:00に0.11μSv/hだった計測値が11:00には5.71μSv/h、そして12:00には20.50μSv/hというピークを記録している。この時間帯に放射性物質が阿武隈山地を通過したものと考えられる。
-
[13:00]
南東風は南から北上していったため、中通りで影響が最初に及んだのは南部の白河だった。12:30に0.07μSv/hだった観測値は13:00に0.44μSv/h、13:15に4.04μSv/hへと上昇し、13:30には5.02μSv/hにまで上昇した。
-
[14:00]
続いて中部の郡山でも放射線量率が上昇を始める。13:00に0.06μSv/hだった計測値が、14:05には8.26μSv/hへと上昇した。川内から郡山までは約40kmであるため、川内を通過したプルームが2-3時間で郡山に到達したと考えられる。また白河よりも郡山の方が濃度が高いのは、8:00〜9:00頃の大量放出が影響したのかもしれない。
-
[14:00]
南東風の領域はいよいよ原発周辺にも到達し、11:00までは強い北北東風だったのが、13:00には東風、14:00には東南東風、さらに18:00には南東風へと回転した。11:00-14:00頃のわずかな時間に風向きは大きく回転した。そのため、原発の南西〜西側に放射性物質が拡散した時間帯は短くて済んだ可能性がある。
-
[16:00]
東南東から南東の風が北西方向に高濃度汚染地域を形成することになった。これが私が名付けた「北ルート」である。北西方向に拡散した放射性物質の影響が最初に出現したのは飯舘である。14:00に0.14μSv/hだった計測値は15:00に3.44μSv/hに上昇し、16:00に22.70μSv/h、そして18:20に44.70μSv/hという最大値を記録することになる。飯舘は原発から北西に約39km。13:00頃に風向きが変化して2時間ほどで到達したか、あるいは実際にはもっと早い段階で風向きが変わっていた可能性もある。
-
[17:00]
飯舘を通過した放射性物質は次に福島に到達した。15:30に0.13μSv/hだった計測値は15:40に0.21μSv/hへと上昇を始めた。そして16:10には4.13μSv/h、17:10には22.30μSv/h、19:30に24.08μSv/hという最大値を記録した。飯舘の値と比較すると福島の値の変化はおよそ1時間遅れとなっており、両者の距離などをもとに考えると、プルームの速さは10km/h台半ば(4m/s前後)ぐらいだろうか。
-
[19:00]
福島に到達した放射性物質は今度は南に向ったと考えられる。3/15は朝から一貫して、中通りの風向きは北北東、すなわち中通りを南下する風であった。中通りの北部に流入した放射性物質はこの風に乗って今度は南に向きを変え、結果として中通り全体に拡散したと考えられる。一方で原発の北西方向からやや外れた南相馬でも放射線量率は上昇し、19:10に4.31μSv/hを記録したが、原発北西方向に比べればその値は低い。
-
[22:00]
中通りでは雨による沈着の影響も生じた。この日は北から雨雲が南下しており、福島では15:00の段階ですでに雨(霧雨?)、そして17時以降は0.5mm/h以上の雨を観測している。白河でも16:00以降は霧雨。中通り全体で見ても、午後に入って霧雨が始まり、夕方からは雨になったと考えてよい。福島では放射性物質が到達した時点ですでに雨が降っており、放射性物質が沈着しやすい状況が生じていたと考えられる。一方白河では最初に到達した時点では雨は降っていなかったが、その後になって霧雨〜弱い雨が降りだした。また会津若松で21:50に2.33μSv/hの最大値を記録したのも降雨の影響かもしれない。
-
以上のように、中通りで全般的に放射線量率が高いのは、阿武隈山地を南東から越えてきた放射性物質(南ルート)と、飯舘〜福島から南下してきた放射性物質(北ルート)とが合流した上に、折りから降ってきた雨により沈着が進んだことが原因ではないか、と私は考えている。
-
またこの日の南東風は長く続いた。午後に始まった南東風は翌日の2:00頃まで、ほぼ12時間継続した。3/15〜3/16と原発からの放出量がもっとも多かった日に、これだけの長時間にわたって北西方向に放射性物質が運ばれてしまったことが、北西方向の地域の運命を決定付けてしまった。
2011年3月16日
-
[02:00]
前日から続いた南東風は2:00頃に収まり、その後は5:00頃まで弱風が続いたが、その後は北北西の風が強まった。早朝から4号機、そして3号機の火災と事故が続き、午前中の10:30〜12:30の時間帯を中心に構内では高い放射線量率が計測されたが、この時間帯は幸いにも北北西の風が強まっていたため、南部の海岸沿いに沈着した一部を除き、大部分の放射性物質は南東海上に吹き飛ばされたものと考えられる。
-
[15:00]
午後からは北西風がさらに強まり、放射性物質はほぼ完全に海上に吹き飛ばされる状況となった。このように3/15と並んで放出量が多かった3/16に、陸上にほとんど影響が及ばなかったことは、不幸中の幸いといえる。
2011年3月17日
-
[12:00]
この日も1日中強い北西風が続き、放射性物質はほぼすべてが海上に吹き飛ばされたものと考えられる。
2011年3月18日
2011年3月19日
-
[11:00]
陸から海に吹く西よりの風と、海岸沿いを北に吹く南よりの風とがせめぎ合う状況。南相馬で11:00に5.48μSv/hを観測するなど、ときおり南相馬で放射線量率の上昇が見られるものの、その他の地域では特に変化が見られない状況が続く。
2011年3月20日
-
[10:00]
10:00頃からは東風に変わり、海から陸の方向に風が吹き始めた。しかし原発の状況が比較的小康状態を保っていたためか、各地では目立った放射線量率の増加は見られなかった。夕方からは南風が強まり、南相馬では若干の線量増加を計測。
-
[23:00]
22:00〜0:00にかけて、風向きが反転して北風となる。
2011年3月21日
-
[05:00]
北風は早朝にかけて強まった。放射性物質は浜通りの海岸沿いを北北東風に乗って南下し、ひたちなか以南の地域では5:00〜6:00にかけて高い放射線量率がSPEEDIのモニタリングポストで観測された。またそれより遅れていわきでは、9:00に2.34μSv/h、11:00に6.00μSv/hを記録した。いわきの方が上昇が遅れたのは、最初は海上を通過していた帯状の領域が次第に内陸側に吹き寄せられたためではないかと考えられる。
-
[06:00]
水戸南方を通過した放射性物質は南関東にも流入した。この日の関東地方の天気は雨だった。いわきでは7:00、水戸では6:00から降雨が始まっており、この地域に到達した段階ではすでに雨となっていた。関東に流入した放射性物質は雨による沈着とともに南下したと考えられる。
-
南関東では3月15日早朝にも放射性物質が通過したが、この時には雨が降っていなかった。今回は雨が降っていたために、ヨウ素131 (I-131)やセシウム134/セシウム137 (Cs-134/Cs-137)などの放射性物質が沈着してしまった。ゆえに放射線量率はこの日に上昇したまま、半減期8日のヨウ素131の減少にしたがって緩やかな下降を続けている。
-
この日に水戸南方を通過したプルームは、主に常磐自動車道の南方あたりを南西に向けて進みつつ、その付近に拡散したのではないかと考えられる。後日に各地でおこなわれている放射線量率の測定によって、いわゆる「ホットスポット」(実際には帯状に高くなった中で特に点状に高いところがある)が見出されているが、それはこの日にたまたまプルームが通過し、より多く沈着する条件が整ったところである。最終的には千葉県から神奈川県西部まで広がって海上に抜けたと考えられる。
2011年3月22日以降
-
各地の放射線量率は減少を続けている。ただし福島第一原発からの放射性物質の放出はまだ止まってはいない。
-
また各地の水道水からも放射性物質が検出された。関東各地に降下した放射性物質が河川を通して浄水場に集まってきたこと、そして直接浄水場の水面にも雨として降下したことなどが要因として考えられる。しかし、放射性物質の検出は短期間にとどまり、現在は検出されていない。
脚注
- (*1) 3月12日、一号機爆発とともに南相馬に降り注いだ『銀色のキラキラしたもの』ってなんだろう?(南相馬ひばり新聞)によると、3/12の午後には南相馬で繊維質のようなものが降っていたとのこと。福島第一原発1号機の建屋に使われていた断熱材や防火材のようなフワフワしたものが、建屋の爆発で上空に巻き上げられ、南風にのって南相馬まで運ばれた可能性がある。放射性物質そのものは目に見えないので、このような目に見えるもの(トレーサー)の動きを追っていくことは、当日の実際の風向を推定する上で有用だと思う。記事が確かなものだとすれば、南相馬には日没(国立天文台のこよみによると3月12日は17:42頃)の前に福島第一原発からの物質が到達していたことの一つの証拠になりうる。南相馬の最初の測定値は17:46となっており、これはちょうど日没時刻の頃である。
参考資料
関連ページ
デジタル台風 | Vertical Earth
Copyright 2011, Asanobu KITAMOTO, National Institute of Informatics