(注)本ページは、一部を除き、2011年のゴールデンウィーク中(4月下旬から5月初旬)にまとめたもので、その後に新たに判明した事実などは更新しておりません。現在でも大きな変更は必要ないと考えていますが、ご利用の際にはご注意下さい。なお追記の部分のみ、後日に更新しています。
福島第一原発事故タイムライン(概要)
ポイント
3月11日〜3月21日の10日間で福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散がどのようにおこったのか、各種の気象データを活用して考えてみたい。まず結論から言えば、以下の3点が重要なポイントであると考えている。
- 3/15の福島県では、以下の2つのルートによって放射性物質が拡散した。
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南ルート:3/15午前に原発から南方(いわき方面)に向けて帯状に広がった放射性物質が、南から北上してきた東寄りの風に押し流され、中通り南部から中部に入っていったルート。
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北ルート:3/15午後に原発から北西方向に帯状に流れ込んだ放射性物質が、飯舘村方面から福島市に流入し、そこから北風に乗って中通りを南下していったルート。
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3/15の午後からおよそ12時間継続した南東の風が、原発北西方向の高濃度汚染地域を形成した。
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関東地方には3/15の早朝と3/21の昼に放射性物質が流入し、線量としては3/15の方が大きかったが、3/21は雨の影響で降下物が多くなり、結果的に水道などに影響が出た。
福島中通りの拡散パターン
特に1については重要な点なので、ここで補足説明しておきたい。拡散パターンそのものについては福島第一発電緊急事態 大気放出に係る事故解析 結果(株式会社 ヴィジブル インフォメーション センター)に3月15日のシミュレーション結果が可視化されている。ただ、このパターンをどう読み解くか、特に福島中通りにどのように放射性物質が拡散したのか、この図だけから読み取ることは簡単ではない。
さらに混乱する事実がある。福島中通りでは南部から北部へと高濃度の放射性物質の検出が進んでいったため、一見すると放射性物質の拡散が南から北に向けて進んだようなのだが、一方で気象データを見る限りでは中通りの風向きは北風であり、北から南に向けて進んだように思えるのである。この矛盾はどうすれば解消できるのだろうか。
私の仮説はこうである。南から北への動きはあくまで見かけの動きであって、放射性物質が実際に動いた方向は東から西だったのではないか。ただ、その動きは南方から始まり、中通りでは南部の方が放射性物質の到達時間が早まったために、中通りという断面上では南から北への動きが見えるものの、その実体は東から西に動く面と斜めに交わる断面上で生じる見かけの動きなのではないか。つまり第一段階で生じたのは東から西への動きであり、放射性物質は東から阿武隈山地を越えて中通りに流入したと考えるのである。
そして夜になると第二段階として、北から南に向けて放射性物質の拡散が進んだ。これは原発北西部の飯舘方面を通過した放射性物質が中通りに流入することで生じたものである。このように、昼間の東から西への動き、そして夜間の北から南への動きの重ね合わせとして、中通り全体に放射性物質が拡散した状況を理解できるというのが私の仮説である。
以上の仮説について、ドキュメンタリーでは事象の時系列をより詳細に追跡することで事態の理解を進めたい。また議論では、高速道路モニタリングデータ、福島県小・中学校等放射線モニタリングデータ、そして気象レーダー降水量データと比較することで、仮説の妥当性などを検討したい。
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追記1 (2011年11月28日)
文部科学省から、東日本全体に関する航空機モニタリングの測定結果(2011年11月25日)が公表された。これにより、上記の仮説を検討していた2011年4月末にはわからなかった拡散状況の全体像が見えてきた。ここに11月末時点で新たに見えてきた、3/15の放射性物質の拡散状況について考えたことをまとめてみたい。なお4月末時点での考察には、今から見ると多少は実態に合わない部分もあるかもしれないが、保存のためにこのまま残すことにする。
- 「北ルート」経由で福島市付近に到達したプルームの一部は、安達太良山北側の国道115号線付近を通過して、会津地方にまで達したようである。4月末の時点では、会津地方で3月15日の夜間に線量が上昇したイベントについて、既に到達していた放射性物質が雨で落ちたのかもしれないと解釈したが、これは中通り北部を通過したプルームが、まさにその時間に北側から会津地方に流入したためと解釈する方が良さそうである。
- 「南ルート」に関しては、上記の概要では福島県南部からの流入を指すものとして使ったが、実際は3月15日の早朝に福島浜通りを南下して関東平野にまで流入したプルームを指すものである。このプルームは午前に関東平野に到達したあと、午後の南東風によって関東平野北部に運ばれ、夜間の雨(雪)によって沈着したというのが私の仮説である。つまり、栃木県や群馬県への拡散ルートは関東平野を南方から北上してきた(+阿武隈高地を東方から越えてきた)ものであり、福島中通りを南下するという拡散ルートではないと考えている。ちなみにこの南東風は、その後さらに北上して、3月15日の夕方に原発の北西方向への拡散を引き起こすことになった。
- 関東地方における東風〜南東風+降雨(降雪)によって、栃木県や群馬県の北方山間部、あるいは関東平野の北側を取り巻く山地において、セシウムの沈着量が大きくなったと考えられる。こうした地域において沈着量が多いことにはいくつかの原因がありそうである。
- 地形的な要因として、山地という壁にプルームがあたって沈着する、あるいは山地での乱流によって沈着が進行するなど、山地という地形が影響した可能性がある。これらの点については、地上と上空の気流の状況を確認しなければならない。
- 気象的な要因として、山地の方が降水量が多いため、より多量の放射性物質が湿性沈着したという可能性がある。ただし福島県内では少ない降水量でも湿性沈着が見られたことから、降水量の影響はそれほど大きくないとも考えられる。
- もう一つ気象的な要因として、高度依存性が考えられる。まずプルームが流れていた高度が地上付近よりはむしろ山地の高度だったため、山地で沈着が大きかったという可能性がある。より興味深いのは風向の高度依存性で、平地と上空とで風向が異なることにより、山地で強制的に上昇したプルームが別方向に流されたという可能性である。例えば3月15日の夜、上空の雨雲は西から東に動いていたので、山地で上昇した気流が上空の風によって東に押し戻されて雨となって地上に降り、二重に沈着が進行したかもしれない。これは同時に、プルームが尾根を越えなかったことへの説明にもなる。これらの点については地上観測では検証できないので、シミュレーションで検証する必要がある。
- 土地利用的な要因として、実は山間部だから高いのではなく、森林地帯だから高いという可能性がある。森林地帯では、放射性物質は土壌だけでなく葉や幹にも沈着する。空気の動きに接する表面積が大きいことから、より多くの放射性物質が土壌に加えて植物に沈着するだろう。そして冬になると落葉し、土壌中の放射性物質が増加する。さらに森林の影響は、風速や湿度などにも現れるかもしれない。
- 最後に問題となるのが、福島中通り中部から南部にかけての拡散ルートである。この部分については、(どう言語化するのが適切か)よくわからないというのが率直なところである。もともと、南から拡散したという説と北から拡散したという説があり、それに対して東から拡散したという側面も忘れないで下さいと問題提起することが、そもそもこのページの開設に至った大きな動機であった。この部分は南ルートの成分と北ルートの成分が複雑に混合していて、観測データの読み解きだけでは限界がありそうである。
沈着パターンは何回にも及ぶ拡散ルートの重ね合わせとして出現するものであり、しかも降雨なし等の理由で通過した場所には痕跡が残らないというところに、読み解きの難しさがある。放出源から沈着地域が繋がっているというだけでは、放射性物質が実際にそのルートを通って拡散したことの証拠にはならないのである。上述のように栃木県と福島県の沈着地域はつながっているが、それだけの証拠から「福島県→栃木県」というルートを仮定することはできない。沈着パターンの読み解きには、見えないルート(あまり沈着せず通過したルート)に対する想像力も求められる。
ただ「拡散ルート」とはそもそも、観測データやシミュレーションデータなどの各種数値データを言語化した表現である。その意味では、それ自体の正しさを突き詰めることよりは、そうした言語化の妥当性と有用性—事象の理解と対策の立案にどう役立つか—を考えるべきなのだと思う。そしてそうした理解が、ホットスポットの生まれ方や、各地への放射性物質の蓄積の推定などの課題解決に役立つのならば、そうした概念を使うことが有効であると言えるだろう。
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