1. 台風観測の方法

気象庁の台風情報の種類と表現方法のサンプルにある以下のような文章は、天気予報の台風情報などできっと聞き覚えがあることでしょう。

平成15年台風第6号に関する情報第3号(位置)
平成15年6月17日15時55分気象庁予報部発表
台風第6号は、17日15時には 沖縄の南の 北緯20度50分、東経123度10分にあって、 1時間におよそ20キロの速さで北へ進んでいます。 中心の気圧は975ヘクトパスカル 中心付近の最大風速は30メートルで 中心の南東側110キロ以内と北西側70キロ以内では 風速25メートル以上の暴風となっています。 また、中心の南東側460キロ以内と北西側330キロ以内では 風速15メートル以上の強い風が吹いています。

ここに登場する「中心の気圧は975ヘクトパスカル」という数字ですが、なんとなくそんなものかと聞き流してしまう方々が大半ではないでしょうか。でも、この気圧を一体どうやって測っているのか、あらためて考えてみて下さい。

え、気圧なら気圧計で測ればよいんじゃないの? と思うかもしれません。では、台風の中心気圧を、実際に気圧計で測っている様子を想像してみてください。移動する台風の中心気圧を測定するためには、誰かが台風の中心まで実際に行き、そこで気圧計を使って測らなければなりません。これはなかなか大変なことです。台風が陸地の上にあるならまだよいのですが、例えば太平洋の真中にあるとすれば、誰かが歩いていくわけにはいきません。となると、例えば船を使うことになりますが、10m以上の高波が荒れ狂う大しけの海に突っ込んでいくのはあまりに危険すぎます。

残された手段は飛行機です。飛行機ならば確かに、台風がどこにあっても中心に突入していくことができます。しかしこれもなかなか危険な行為です。台風のぶ厚い積乱雲の中は強烈な乱気流が渦まいているので、コースを間違えれば生きて帰ることさえ危うくなります。とは言っても、台風情報はそれだけの危険を冒してでも知りたい重要な情報だったので、飛行機を用いた観測は第二次大戦ごろに始まりました。具体的には、台風観測用の飛行機で台風の中心まで突入し、上空から気圧計を落下させて中心気圧を測定していきます。台風の中心気圧はこうして、まさに命がけの観測方法で測定されていたのです。

正確に言えば、このような観測をずっと担当してきたのは、実は米軍の飛行機でした。というのも、コストが嵩むことから、日本の気象庁はこうした独自の観測機を持てなかったのです。そして頼みの綱だった米軍も、1987年8月には飛行機観測を終了。これ以後の北西太平洋地域では、継続的な飛行機観測は途絶えてしまいました。

もはや台風の中心気圧を実際に測定できるのは、台風が島や陸地の気圧計にたまたま接近する時ぐらいしかありません。ですから台風が上陸する時というのは、気圧の実測値が得られる貴重なチャンスです。しかし台風が太平洋の真中にあれば、こうしたチャンスは望めません。したがって、こうした場合の「中心の気圧は975ヘクトパスカル」という情報は、「中心の気圧はおそらく975ヘクトパスカルぐらいだろうと気象庁は考えています」ということを意味していたのです。

2. ドボラック法

そんないい加減な、と思う方もいらっしゃるかもしれません。何しろ、実測していないわけですから、本当の値など誰にもわかりません。では一体何を信じればよいのでしょうか、、、こうした曖昧な状況をなくすために、飛行機観測を復活させろ、と主張する意見もあります。ただし飛行機観測は、もちろん何の理由もなく突然打ち切りになったわけではありません。打ち切りになった大きな理由の一つには、気象衛星観測に基づく中心気圧推定法にメドがついてきたという側面があります。

1977年に始まった気象衛星「ひまわり」シリーズは、当時既に10年分の観測データを生み出していました。それ以前の気象衛星データも含めれば、気象の専門家は長年にわたって、台風を気象衛星の視点から観察し続けていたのです。その過程では、台風の雲の形と中心気圧との対応関係に関する知識も増えてきました。気象衛星画像は台風の雲パターンの全体像を捉えることができますから、その画像から台風に関する情報をうまく抽出できるのなら、わざわざ危険な観測をする必要もなくなるのです。

こうした台風の雲パターンに関する知識を体系的にまとめたものがドボラック法(Dvorak method)です。ドボラック法とは、アメリカの気象学者ドボラックが考案した台風(ハリケーン)解析法です。彼は、気象衛星で観測された台風の雲のパターンと、実際の中心気圧/最大風速との対応関係を、さまざまな過去のハリケーンについて調べました。そして、ある程度のトレーニングを積んだ専門家が気象衛星画像を目で観察しながら解析することによって、中心気圧/最大風速を手順にしたがって導き出せるようなルール集を作ったのです。この基本となるルール集に、長年の経験を加えて洗練されたのが現在使われているドボラック法です。

ドボラック法は人間のパターン認識能力に依存する方法です。つまり台風の雲パターンに隠された情報を人間が読み取って、その判断結果を中心気圧という数値に集約していくのです。このような手順では、ドボラック法がパターンを読み取る人の考え方や能力に依存するのではないか、という心配も生まれます。むろん人間がおこなう以上、個人性に基づくばらつきは当然発生するでしょうが、多人数での合意に基づき個人性を薄めることも、ある程度は可能でしょう。手前味噌ですが、私の研究ではこの解析をコンピュータのパターン認識アルゴリズムに行わせたいと思っています。これならば、誰がプログラムを走らせても同じ結果が得られます。しかし、その結果はアルゴリズムの能力に依存しますので、やはり本質的には誤差を免れません。

このようなドボラック法の「ばらつき」が問題となる一方で、ドボラック法の系統的な「偏り」を疑う意見も以前から根強く残っています。具体的には、近年になって強い台風が減っているのは、台風が弱くなったからというよりも、ドボラック法の推定値が真の値よりも弱い方に、系統的に偏っていることが原因であるという意見です(参照)。

3. 強い台風は実際に減ったのか?

では、実際に強い台風は減ってきているのでしょうか?この問題を明らかにすることは、単にドボラック法の検証となるだけではなく、より広い視点では地球温暖化と熱帯低気圧の関係を解明することにもつながります。そのため近年はこの問題に対する関心が高まってきています。

そこでまず、中心気圧が低い台風(強い台風)のリストを表示してみます。リストを表示したあとにスクロールして、「次の操作」にある「発生年分布を表示」をクリックすると、毎年の個数の分布(ヒストグラム)を表示することができます。

ここ10年ほどに注目すると、確かに1997年を除いては個数が少ないように見えます。目分量でいえば、920hPa以下が年1個ほど減少、900hPa以下はほぼ絶滅したような状況です。もちろんこの「中心気圧」の値は、飛行機観測が中止された1987年以降は、ほとんどが推定による値となっています。ということは、強い台風の個数が減った原因は、「台風自体が弱くなったから」なのではなく、「中心気圧の推定法がずれているから」という可能性も十分にありうるのです。

では、そこに偏りがあると仮定して、その影響はどの程度の勢力にまで及んでいるのでしょうか。もう少し中心気圧の高いところまで見てみましょう。

これも目分量ですが、930hPa以下もやや減少しているような印象を受けますが、940hPa以下で見ると違いはほとんどわかりません。となると、本当は940hPa以下の台風が、少しずつ中心気圧の高い側に偏っているのかもしれません。

ではドボラック法は本当に正しくないのでしょうか。これは検証が難しい問題です。というのも中心気圧の「真の値」が未知である以上、真の値(観測値)と推定値の誤差は検証しようがないのです。そのため、状況証拠的に「個数が減った」ことまでは言えますが、具体的にどの値がどのぐらい間違っていた、という決め手となる証拠を提出することができません。

ただし証拠となりそうなケースがないわけでもありません。例えば、台風200225号が沖ノ鳥島付近を通過した際には、海洋研究開発機構の沖ノ鳥島観測において、気象庁の発表による中心気圧の推定値955hPaに対して、931.54hPaを現地で観測したことがありました(参照:沖ノ鳥島ページの「気象要素2002年(ファイル)」および議論)。これは気象庁が公認する観測方法ではないために、あくまで非公式なデータではありますが、参考記録として興味深いものです。

一方で、台風200314号が宮古島の上を通過したケースのように、観測史上有数の低い中心気圧にもかかわらず、推定値と実測値とがかなり一致していたというケースもあります。つまり推定値の偏り方はケースバイケース。正解も不正解もあるということになります。

つまり、推定である以上は誤りが生じてしまうのは致し方ないところで、「誤っている」ことのみを強調することにはあまり意味がないのではないかと思います。また実測値が存在しない以上、他の多くのケースにおける真相を確かめるのは大変に困難です。となると、推定結果の正解・不正解を問うよりも、ブレの少ない一貫性のある結果を得るためにはどうすればよいのか、を考えることの方が重要なのではないでしょうか。

なお中心気圧が5hPa刻みの「キリのいい数字」となっているのも、台風の中心気圧がドボラック法による推定値であって、推定精度を考慮すればそれ以上の細かい数字を出しても意味がないためです。とはいえ、再解析に基づくベストトラックデータには、5hPa刻みよりも細かい数字が出現することがあります。例えば0613 Shanshanの中心気圧についてでは、919hPaという「キリの悪い」中心気圧が出現した事例を扱っています。また、最低中心気圧で検索で使われている気圧の選択肢リストは、これまでにベストトラックで出現した最低中心気圧をすべて網羅したリストです。ここに登場するキリの悪い中心気圧も、実測値を活用すると高精度の推定が可能な場合に使われる数字であると考えられます。

4. 台風観測のこれから

では今後はどうすればよいのでしょうか。我々はまだ、台風の構造と時間的変化を深く理解しているわけではありません。その性質を深く捉えたモデルに沿って現在の台風を観測することにより、我々の解析能力もより強化することができると考えられます。

例えば伊勢湾台風では、1日で中心気圧が91hPaも低下するような猛烈な発達が観測されていますが、実測ならばともかく推測のみでここまで急激な変化を断定するには、台風の特徴と個性をよほど正確に理解しておく必要があるでしょう。

ところが、現状の台風の一生のモデルとして想定されているのは、「標準的な生涯モデル」です。すなわち、誕生・成長・成熟・消滅というような標準的な一生を想定して、現在の台風をそこに当てはめて理解しているのです。そのため、突如としてパワーアップするような生涯や、山あり谷ありの起伏の激しい生涯、さらに衰えると思わせてなかなか衰えない生涯など、「あまり標準的ではない」台風に対しては、乏しい経験則ではなかなかその個性を理解できないのが現状です。

またまた手前味噌になりますが、この「デジタル台風」プロジェクトでは、長期とは言えませんが10年ほどの台風雲パターンを収集しておりますので、このデータコレクションを網羅的に調べれば、あるいはドボラック法の「クセ」のようなものが見付かるかもしれません。またこうした大量データの処理というメテオインフォマティクス的手法を活用することによって、ドボラック法に代わるような新しい台風解析法を確立できれば、人間のパターン認識とコンピュータのパターン認識の比較によって、新たな知見を見出すことが期待できます。

あるいは、再度飛行機観測を復活させて、台風中心まで正確な中心気圧を測定しにいけばよいのかもしれません。現在でも米国では、大西洋においてこのようなハリケーン観測部隊が活躍していますから、日本がこれを真似ることも不可能ではないかもしれません。また、台風の構造をよりよく理解するためには、実際に台風に突っこんで得られる各種の測定値に勝るものはないというのも確かで、アジアの国でもこのような研究を目的として飛行機を使うことのある国もあります。

結局のところ飛行機観測においては、「正確な中心気圧を測定する」というのはあくまで任務の一つに過ぎず、台風の構造を実測してよりよく理解する、というのがその大きな任務だということになります。したがって、中心気圧を測定するためだけに新たな飛行部隊を創設するのでは、費用対効果の面で採算は取れないのではないかと思います。また、今後は多種多様なリモートセンシング技術を用いた衛星観測データが利用できるようになるため、それらを有効に活用するための技術を磨くことが重要であると考えます。例えばリモートセンシング技術の利用という面では、中心気圧を測定する技術よりも、中心付近の最大風速を測定する技術の方に将来性があります。

中心気圧は確かに非常に重要な指標ではありますが、台風を特徴づける決定的な指標となっているわけではありません。また中心気圧のみで台風災害の規模が決まるわけではありません。台風による影響を的確に表現するためには、台風の個性を特徴づけるためのもっと多様な指標を考案していってもよいと思います。

「強い台風は実際に減ったのか」という問題の本質は、実は「中心気圧推定法が正しいのか」という問題ではなく、「過去のデータからの連続性が成り立っているのか」という問題です。過去のデータが同じような間違え方をしているならば、たとえ推定自体が間違っていたとしても、相対的な比較は可能です。しかし、過去のデータからの連続性が成り立っていないとすれば、性質の異なるデータを正当に比較することはできません。飛行機観測を復活させるというのは、過去のデータからの連続性を確保するために、飛行機観測を復活させて従来の方法と統一しよう、という考え方に他なりません。

しかし、過去のデータからの連続性を確保するための方法は、何も飛行機観測を復活させる方法だけではありません。過去のデータに対して現在の方法を適用することにより、現在の推定方法に合わせるという手段で、過去のデータからの連続性を確保する方法もあるのです。そのためには、公平な比較を可能とする、過去データのアーカイブを整備することが重要です。観測技術や解析技術の進歩に伴って、過去の方法よりも優れた方法が発見されることは、科学の世界ではよくあること。優れた手法を用いて、過去にさかのぼってデータ解析を再度検証することで、統一的な基準のもとに品質を揃えたデータセットを定期的に作り直していけばよい。そういった検証の基盤となるデータアーカイブが、過去から未来への変化を検証するのに不可欠な存在となるでしょう。

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