1. 高潮と高波

波の種類

海面の高さはいろいろな種類の波によって上下しています。以下では本ページに関係のある3種類の波を分類してみます。

用語 意味
潮汐波 月と大陽の引力および地球の公転によって引き起こされる波で天文潮とも呼ばれ、約12時間と約1日に周期があります。満潮と干潮の間で海面の高さが変化します。また満潮と干潮の大きさは毎日異なり、特に日本付近では9月ごろに満潮が最も高くなります。
重力波 風のエネルギーによって引き起こされる波で、周期は約1秒から約30秒の範囲です。その周囲を吹く風によって発生する「風波」と、遠い場所を吹く風によって発生してはるばる伝わってくる「うねり」とがあり、一般的に後者の方が長い周期を持ちます。この波が強まってくると「高波」となります。
高潮 低気圧や台風によって引き起こされる波で、周期は約10分から数時間の範囲です。一般的に30秒以内の海面の変動は波(重力波)、30秒以上の海面の変動を潮と呼び、潮位が高まった状態を高潮と呼びます。

台風が接近してきた時の海面の高さは、潮汐波+高波(重力波)+高潮で決まります。

まず「潮汐波+高潮>堤防の高さ」が最も悪いケースで、この場合は海面が平均的にも堤防より高いことになり、海水は堤防を越えて陸地にどっと流れ込んでくることになります。これは大きな高潮災害に直結します。

一方、「潮汐波+高波+高潮>堤防の高さ」でも、「潮汐波+高潮<堤防の高さ」という場合は、大きな波がやってきた時は海水が堤防を乗り越えますが、連続的に越えるわけではありませんので、これだけでは大規模な水害とはならない場合もあります。ただし海水が堤防を越えていることは確かですので、それだけでも堤防沿いでは被害が生じる場合もあります。さらに、堤防の裏側を強化していない場合はそこの構造が弱いため、堤防の裏側を海水が流れるだけで強度が弱まり、結果的に堤防が決壊する可能性が高まります。たとえ高波のときだけであっても、海水が堤防を越えている状態は、もうすでに危険性が高い状態と言えるでしょう。

なお津波は、以上の波とはまた特性が異なります。周期は数分から1時間程度と長く、波というよりは海面自体の盛り上がりのように見えます(その点では高潮とも似ています)。ただし、高潮は台風の通過に伴って上昇から下降へと転じますので、いったん海面が下がればあとは次第に安全となりますが、津波は何回も上昇と下降を繰り返しますし、特に第2波やその後の方が高いこともありますので、海面が下がったからといって安心してはいけません。また、高潮は最大でも十メートルを越えない程度の高さですが、津波は数十メートルにも達することがあります。

高潮の原因

台風が接近していない通常時の潮位は、潮汐波の変化を計算することによっておおむね正しく予測できます。満潮時刻や干潮時刻の予報が正確なのはそのためです。それに対して台風が接近してくると、様々な気象条件によって潮位は次第に高まります。潮汐波で予測される潮位と実際の潮位との差を潮位偏差と言いますが、潮汐波の部分はすでに予測できているため、台風によって生じる潮位偏差を予測できれば、この二つを合計した高潮の高さも予測することができます。そのための予測モデルが気象庁などによって盛んに研究されています。

ではこのような潮位偏差はどのように生じるのでしょうか。これは主に、以下の2つの効果によって生じると言われています。

用語 意味
吹き寄せ効果 台風の強風に引っ張られて海水は風の方向に動いていきますが、その先が陸地となっていて行き止まりになると、逃げ場がない海水はどんどんたまっていきます。これが吹き寄せ効果です。この効果は風速の2乗に比例するため、風速が強まると潮位偏差は急速に大きくなります。また日本付近の台風の進路を考えると、南に向いた太平洋の湾は海水が流れ込みやすく逃げにくいので、高潮の危険性が高くなっています。一方でハリケーンやサイクロンなどでは、遠浅の海岸における高潮の被害も大きくなっています。
吸い上げ効果 台風(低気圧)の中心付近は気圧が低いので、海面は圧力が小さい分だけ上昇します。気圧が1hPa低下すると海面は約1cm上昇することになりますが、その正確な量は場所ごとに多少異なります。強い台風では中心気圧が50hPa以上低下しますので、これによって数十cm海面が上昇することになります。

一般的には「吹き寄せ効果」の方が「吸い上げ効果」よりも影響が大きくなります。また、両者を合わせた潮位偏差の大きさは、潮汐波の変化の大きさを大きく越える可能性がありますので、本当に大きな潮位偏差が発生すれば、たとえ干潮でも高潮災害は発生します。確かに満潮時の方が高潮災害の危険性は高まりますが、干潮時だからといって安心はできません。例えば以下に述べる伊勢湾台風の高潮災害も、満潮時ではない時刻に発生しています。

一般的には、上記2つの効果を合わせたものが「潮位偏差」として出現します。これに潮汐波の高さである「天文潮」を合わせると「潮位」が計算できることになります。ただしすでに述べたように、海水が堤防を越えるかどうかは潮位に高波が加わってそれが堤防で砕けた時の水面の高さです。このように高潮に高波の高さを加えた数字を「打ち上げ高」と呼びます。打ち上げ高は潮位よりもさらに予測が難しくなりますが、実際の防災活動には重要な数字であるため、予測に向けての研究が進められています。

2. 伊勢湾台風の高潮災害

近年の記録に残る限りでは、日本で過去最大の高潮災害を引き起こしたのが伊勢湾台風です。そもそも伊勢湾台風は、最近100年間に日本本土に上陸した台風の中でも最大級の台風でした。加えて台風は伊勢湾の西側を高速に進むというコースをとったために、伊勢湾に対する吹き寄せ効果として最悪のパターンとなり、南からの暴風(例えば名古屋地方気象台)が伊勢湾に大量の海水を送り込み、名古屋港では潮位偏差が最大3.55m、潮位も最大3.89mに達しました。またこれに加えて高さ2m程度の高波が伊勢湾沿岸を襲ったため、伊勢湾沿岸の堤防は次々と崩壊し、海水が陸地にどっと流れ込むことになりました。なお各地の高潮を調べるには、伊勢湾台風高潮データベース高潮マップ)をお使いください。

さらに伊勢湾沿岸は日本で最も広大な海抜ゼロメートル地帯を抱えている地域で、地盤沈下も伴って標高がマイナスの土地が広がっていました。例えば標高-1mの土地に潮位3.89mの海水が流れ込んでくれば、その土地は4.89mの浸水となってしまいます。実際に浸水深は5mを越えたところも多いのですが、浸水深が5mとなると1階はもちろん2階でも水没してしまいます。なお高潮の高さについては他の数字も公表されていますが、数字の違いは基準面の違いによるものです。

3.89m 「東京湾平均海面」(Tokyo Peil; T.P.)を基準とした高さ 全国の「標高」と一致する数字で、東京における「海抜」でもあり、他の様々なデータと比較するのに便利です。
3.55m 「潮位偏差」(台風や気象による影響がない場合に予測される潮位)を基準とした高さ 満潮や干潮による影響を取り除いた実質的な高潮の高さを表すため、台風自体が及ぼす影響の大きさを比較するのに便利です。
5.30m 「名古屋港基準面」(Nagoya Peil; N.P.)を基準とした高さ 名古屋港において利用される工事基準面(名古屋港最低水面)からの高さで、名古屋港朔望平均干潮面に近く、堤防などの人工物の高さと高潮の高さを比較するのに便利です。なおN.P.の0mはT.P.の-1.412mと一致します。

伊勢湾台風の際にはもう一つの悲劇がありました。名古屋港に貯められていた巨大な材木が高潮に乗って陸地に流れ出し、建物にぶつかって多くの建物を破壊していったのです。これがさらに被害を拡大しました。高潮に材木被害が加わって多くの家が壊されてしまい、死者不明5000人に達する巨大な災害となってしまいました。

日本では伊勢湾台風による大災害を受けて災害対策基本法が制定され、全国的に海岸堤防が整備されました。これによってひとまず高潮の危険性は低くなりましたが、初期に整備された堤防が老朽化するなど、本当に万全な体制となっているわけではありません。日本で特に大きな潮位偏差が観測された湾には東京湾、伊勢湾、大阪湾、有明海、鹿児島湾などがあり、これらの地域では今後も高潮に対する備えが特に重要となります。

しかし高潮災害は今も発生しています。例えば台風201821号では、大阪湾で過去の最高潮位を上回る高潮が発生し、関西国際空港が甚大な被害を受けました。

世界ではさらに大きな高潮も発生しています。

1. 2005年に米国を襲ったハリケーン「カトリーナ」では、ミシシッピー州で7.6mから8.5mの高潮を記録しました。これは伊勢湾台風よりも低い中心気圧や、遠浅の海岸によって波高が高まったことなどが影響していると考えられます。

2. 2008年にミャンマーを襲ったサイクロン「ナルギス」では、高潮の具体的な高さは不明ですが、広大な低地に海水が流れ込んで10万人以上の人々が亡くなりました。

3. 2013年にフィリピンを襲った台風201330号「ハイエン」では、高さ6メートルから7メートルに達する高潮が発生し、レイテ島タクロバンを中心に死者数千人の大きな災害を引き起しました。

3. スーパー伊勢湾台風

このように伊勢湾台風の災害は甚大だったため、これが日本の災害対策の基準となりました。そして全国の海岸では「伊勢湾台風が来ても大丈夫な」堤防を作ることが目標となり、50年間防災対策が進められてきました。

しかしいくら堤防を高くしたとしても、いかなる高潮も防げる堤防が作れるわけでもありません。そこで「万が一堤防が決壊したらどうなるか」をシミュレーションして、地図として広く周知することが近年は一般的となりました。これが「ハザードマップ」(特に高潮の場合は「高潮ハザードマップ」)です。すでに一般的となった洪水ハザードマップに比べると作成は進んでいませんが、浸水の恐れがある地域(高潮浸水想定区域)や浸水の深さ(浸水深)、過去の高潮災害の状況などが記入された地図が提供されています。国土交通省 ハザードマップポータルサイトで自分の居住地のハザードマップを検索してみて下さい。

ここで問題となるのが、高潮のシミュレーションをする際に、どのような状況を想定するのかということです。通常は「想定される最大規模の台風により起こされる高潮、高波」を仮定してシミュレーションします。つまりハザードマップに書き込まれた浸水深は、いわば最悪のシナリオによって発生する高潮による被害の予想なのです。

このような「想定される最大規模の台風」をわかりやすく言い替える言葉として生まれたのが「スーパー伊勢湾台風」という言葉です。ここで想定されている台風は、ここ100年ほどの間に日本に上陸した中で最強の台風と言われる1934年の室戸台風です。スーパー伊勢湾台風クラスの台風は、沖縄などの南方では珍しくありませんが、そのクラスの台風が日本本土に上陸するのは50-100年に一度ぐらい。そんな台風が想定しうる最悪のコースを通ったらどうなるのか、それが「スーパー伊勢湾台風」によるシミュレーションです。

もちろん通常であれば、勢力あるいはコースのどちらか、または両方とも、スーパー伊勢湾台風の想定ほどの悪条件にはなりません(*2)ので、実際に生じる被害は想定よりも小さくなります。その意味では若干大げさな面もなくはなく、スーパー伊勢湾台風による被害予想を見ていたずらに怖がる必要はないでしょうが、最悪のシナリオは実際に「起こりうる」わけですから、それを知っておくことは大切なことだと思います。

実際にスーパー伊勢湾台風が接近するとどうなるのでしょうか?まず伊勢湾台風でのシミュレーション結果は、東海ネーデルランド高潮・洪水地域協議会のウェブサイトに掲載されています。この場合、名古屋港での潮位は伊勢湾台風を上回る5.1メートルに達し、日本最大のゼロメートル地帯である濃尾平野では202平方キロメートルが浸水するということです。さらに大雨による洪水も重なる複合災害を想定すると520平方キロメートルが浸水します。

一方で東京湾については、国土交通省の報道発表資料東京湾の大規模高潮浸水想定の公表についてで紹介されています。ここでは伊勢湾台風級と室戸台風級の台風が、東京湾全体で最も被害が大きくなるコースを通ったときの浸水状況が計算されています。これによると、伊勢湾台風級の台風であれば、現在の東京湾では大規模な浸水は防げそうだとのことです。このシナリオではさらに最悪の想定として、地震等で堤防が被害を受けているケースを考えていますが、その場合はさすがに大規模な浸水が発生しています。

(*2) 2008年にミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスは、勢力とコースの両方が、ミャンマーデルタ地帯にとっては最悪の想定に近いものだったと考えられます。また2005年に米国を襲ったハリケーン・カトリーナも、ニューオーリンズにとっては最悪の想定に近かったでしょう。日本の災害史上で「勢力とコースの両方が最悪シナリオ」という意味では、日本では伊勢湾にとっての伊勢湾台風が代表的であり、その意味で伊勢湾台風はシンボルとしてふさわしいと言えるかもしれません。