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1941年12月8日の天気図を見ますと、高気圧が西日本、東日本を覆い冬晴れが広がった所が多かったようですが、通常の天気図との違いは、左上の余白部分に「秘」マークです。太平洋戦争が始まったこの日から、天気予報は気象報道管制によって軍事機密とみなされ一般に公開されなくなり、ラジオや新聞の天気予報も姿を消してしまいました。各地の気象台や測候所の観測データも、暗号化されて中央気象台に送られるようになりました。翌年1942年8月27日に九州に上陸した台風によって死者・行方不明者1158人の被害が発生していますが、台風についての情報が住民にほとんど伝わらなかったことが被害を大きくしてしまったようです。天気予報が再開されたのは、終戦後の1945年8月21日でした。
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