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1955年5月11日午前6時56分、国鉄・宇高連絡船の紫雲丸と第3宇高丸が、濃霧の瀬戸内海、高松港沖で衝突、沈没、168名の犠牲者が出ました。この日の朝9時の天気図を見ますと、日本海中部の低気圧から伸びる前線が、山陰沖から対馬海峡へと伸びています。西日本はこの前線の南側にあたり、暖かく湿った空気が流れ込みました。瀬戸内海で濃霧が発生した原因はもう一つあります。それは瀬戸内海の水温です。瀬戸内海の海水温は5月ごろまで15度以下、冬とあまり変わらない冷たさが続きます。水蒸気を多く含んだ空気が海の上で冷やされて濃い霧が発生したのです。
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