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台風12号は沖縄付近まではプロットされていたと記憶してますが、昨日位から記述が無くなったのは何故でしょうか?
気象庁は漏れなく発表するが、米軍の場合たまにこのようなことがあります。
質問ありがとうございます。まず前提として、気象庁台風情報と米軍台風情報は基準が同じではないので、一方は台風と認定するけれども、一方は台風と認定しないというケース自体はそれほど珍しくありません。ところが台風12号における気象庁と米軍の食い違いは、かなり珍しい事例であると私は思います。というのも、これは単なる台風強度認定の違いを越えて、台風情報とは何なのかという根本的な定義に関わる問題でもあるからです。
この食い違いが生じた原因を一言でまとめれば、「米軍はこの低気圧を台風とは認めなかった」ということになります。台風12号に関するブログでも繰り返し書いてきたように、この台風は台風としては奇妙な特徴があり、中心付近にほとんど雲がなく、中心から遠く離れた東〜南東側に厚い雲の帯を持っていました。また風速についても、中心よりも周辺の方が強いという状況で、およそ台風らしくない低気圧でした。実はこの「台風らしくなさ」は、気象庁が発表する台風12号に関する全般台風情報にも現れています。2014年8月1日9時50分発表の全般台風情報では、「風速は台風の中心よりも東側の領域で最大となっています」との見出し文のもと、本文中に「中心付近を除いて最大風速は30メートル」という表現が使われました。ここは通常なら「最大風速は30メートル」と表現されるところで、ここに「中心付近を除いて」という限定が入るのは珍しいことです(少なくとも私は初めて見ました)(追記:台風の最大風速の表現についても参考にして下さい)。台風なのに、中心付近が強風でないとは、一体どうなっているのでしょうか。
この低気圧は、いわゆるモンスーン低気圧(monsoon depression)と呼ばれるもので、熱帯付近の東西に延びる雲の帯(モンスーントラフ)から生まれてくる低気圧です。今回はこの中から台風11号と台風12号という2つの台風が、ほぼ同時期に誕生しました。このモンスーン低気圧は、通常の台風とはいろいろと違いがあります。通常の台風は、中心付近で発生する潜熱が上昇気流を強め、それが渦巻きを強化するというメカニズムで発達していきます。ところがこのモンスーン低気圧は、どちらかというと最初から渦巻き状の強風が存在しており、そこに後から渦巻き状の雲が発達していくという経過をたどります。そのため、発生時には雲が中心から見て偏っており、中心付近には雲がないことも多く、その後もなかなか発達しづらいという状況がよく見られます。ただしこの偏った雲は実際には雨量が多い雲となることも多く、勢力としては大したことない台風だと油断していると、大雨による災害につながってしまいます。
台風12号はこのいびつな形状が最後まで解消しませんでしたが、台風11号はサイズが小さかったため、その後は体制を立て直して通常の台風として発達を続けています。このように、発生時はモンスーン低気圧型であっても後から通常の台風に変わる場合も多いため、熱帯域での低気圧として両者をどのぐらい厳密に区別すべきかは、なかなか難しい問題です。
気象庁は最初から、これをあっさり台風と認めました。最大風速で見るなら、最大風速34ノットという風速基準は満たしていると考えられるからです。ところが米軍は、これを台風と認めませんでした。低気圧の構造として、あまりに台風らしくないと判断したのでしょう。ただし強風は確かに予測される状況でしたので、「台風に発達する可能性を調査中の低気圧情報(INVEST)」として米軍基地のある沖縄付近までは情報を発表し、沖縄を通過した直後に発表をやめたものと考えられます。ところが、その後米軍は気が変わったのか、韓国に接近した8月2日15時(JST)から、突如として台風情報の発表が始まりました。現在も番号12Wとして台風情報の発表を続けています。このような混乱状態を見ると、今さら台風と認めるぐらいなら、最初から台風として認めてやれば良かったのではないか、という気もしてきます。
米軍台風情報をここまで混乱させた台風の構造、それを数値予報モデルデータでも確認してみましょう。メソモデル - GPV Navigatorを使ってみます。このページで、変数を風速に、高度を1000hPaにして、7月31日ごろから台風が東シナ海を北上していく様子を見てみましょう。台風の中心付近にはいびつな形の弱風領域が東西に延びつつ、中心の東側に強風領域が広がっています。確かに強風基準で見るなら、これは台風と言って良さそうですが、構造としてはいかにも台風っぽくない。だから後者に注目するなら、台風として認めないという方針も理解できなくはありません。しかし、この判断は適切だったのでしょうか。
ここで、台風情報は科学的情報なのか社会的情報なのかという点から、あるいは台風情報は気象学的に正しい情報を提供すべきなのか、それとも防災上適切な情報を提供すべきなのかという点から、この問題を考えてみましょう。同様の問題は、日本付近では温帯低気圧化発表の問題としてよく話題になるところです。長期的な視点では、科学的情報としての台風情報を重視すべきでしょう。例えば地球温暖化が台風に及ぼす長期的な影響を調べる場合、統計データに長期的な一貫性があることが何よりも重要です。このような視点では、防災上の理由で台風情報を「歪める」ことなど、あってはならないことと言えます。しかしこうした長期的な視点だけを重視して、防災という短期的な目標を軽視したために、災害が生じてしまったらどうなるでしょうか。社会的にこれは許されないでしょう。強風が予想されるんだから、台風情報として発表すれば良いではないか、という考え方は、防災上の観点からは説得力があります。2つの目標を両立させることはなかなか難しいのです。
この問題はどう解決すればよいでしょうか。私は、時間差を活用して解決することが、一つの道であると考えています。つまり、実況(リアルタイム)の台風情報では防災という短期的な視点、事後(再解析)の台風情報(ベストトラック)では科学という長期的な視点を重視し、実況と事後の時間差を有効活用することで2つの目的を両立させるのです。とはいえ、この方法を実現するにはもう一つの壁が残っています。それは台風番号の削除と追加の問題です。
例えば、防災上の理由で台風かどうか微妙なものを台風と認めたけれども、事後分析をしてみると台風として認めるべきではなかったことがわかったとしましょう。手続き的には、台風番号を欠番にして記録から削除すれば済む話です。しかし、この手続きが定められてから60年以上、削除が実際に使われたのはごく初期の数回のみです。この事実は、台風番号を欠番にすることには大きなプレッシャーがあって、後から欠番にするぐらいだったら最初から認めないでおこう、という偏りが存在する可能性を示唆しています。米軍があくまで台風として認めなかったのも、まずかったら後から削除すればいいやとは考えなかったからでしょう。同様に、台風番号を後から追加する手続きも定められていますが、これは今まで使われたことさえありません。とは言え、見逃しミスが60年間で1回もないとは考えづらく、台風の見逃しという偏り(あるいは見逃ししないために過剰に台風を認定するという偏り)が存在することも考えられます。つまり、たとえ実況と再解析をうまく使い分ける方法が確立したとしても、そもそも台風番号を割り当てるべきかどうかという意思決定においては、純粋な科学的視点とは異なる力学が働いてしまう可能性があるのです。
こうした台風認定の問題において、おそらく米軍の担当者には気象学的な正しさに対するこだわりがあったのでしょうが、ややこだわりが強すぎたために混乱を招いてしまったのではないか、と私は推測しています。確かに台風として風変りではありましたが、中心気圧は980hPa程度にまで低下し、最大瞬間風速も30m/s以上を記録し、勢力としては台風と呼んで差し支えない状況となりました。さらに台風12号による大雨は1000mm以上に達しており、これは間違いなく台風を一因とする大雨と言えるものです。このような状況にも関わらず、気象学的に純粋な気持ちを貫くために台風を認めないとしたら、防災上の影響は無視できないものとなります。米軍の台風情報が韓国への上陸直前で「復活」したのも、こうした社会的影響に関する議論を踏まえて「妥協」した結果ではないかとも考えられます。
以上、台風12号に関する米軍台風情報の問題点を、科学的情報(長期的視点)と社会的情報(短期的視点)とのバランスというテーマを中心にまとめてみました。このモンスーン低気圧型台風の問題は毎年発生する問題ですので、これを機会に取り扱いをきちんと決めておくのが良いように思います。
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