2011年(平成23年)の台風に関する情報のまとめ
2011年12月31日
2011年(平成23年)の台風の発生個数は21個と、平年よりは少ない個数にとどまりました。日本への接近数も平年よりは少ない数でしたが、上陸した3個の台風が与えたインパクトは大きく、数は少ないながらも記録に残る年と言えるのではないかと思います。まずは日本に影響を与えた代表的な台風をピックアップしてみます。
台風201106号 (MA-ON)
久しぶりに太平洋の洋上遠くで発生した台風で、長い時間をかけて発達しながらゆっくりと日本列島に接近しました。徳島県南部に上陸して四国に長時間の大雨を降らせた後、南東に向けてターンするという珍しい経路を取りました。そのため小笠原諸島では、いったん通過した台風が1週間後に再度接近するという珍事が起きました。
台風201112号 (TALAS)
台風自体の勢力はそれほど強くはありませんでしたが、日本列島に接近してからも非常にスピードが遅かったこと、そして太平洋高気圧の周囲を吹く湿った風が強かったことから、西日本から東日本にかけて大量の雨が降りました。特に紀伊半島ではアメダス観測が始まった1976年以来で最大の(長時間)降水量を記録しました。日頃から豪雨を頻繁に記録する紀伊半島でさえ、さすがに2000mmを越える豪雨に対しては洪水や土砂災害の発生を防ぐことはできず、100年以上前の1889年の大災害にも匹敵するとも言われるほど各地で大きな被害が発生しました。また後述するように、水害時におけるダムの役割についても課題を残しました。
台風201115号 (ROKE)
台風201112号による被害から間を置かずに再び接近した台風。この台風も速度が遅く、沖縄付近に長い時間停滞して沖縄地方に影響を与えた後、にわかに発達を始めつつ本州に接近しました。台風が上陸した静岡のみならず、台風が通過した関東から東北にかけて強風と大雨が続き、多くの場所で浸水などの被害が発生しました。特に東北地方の太平洋側では記録的な雨量に達し、東日本大震災の被災者が暮らす仮設住宅が浸水するなど、被災地にとっても厳しい台風となりました。
その他の地域の台風
日本以外で台風の影響を大きく受けたのはフィリピンです。台風201108号ではフィリピンで死者75人、その後台風が進んだタイやベトナムなども含めると死者100人を越える被害となりました。続いて台風201117号でもルソン島を中心に死者83人、被害額で見ても台風200917号に続く規模に達しました。そして12月にはミンダナオ島に上陸した台風201121号が局所的な豪雨を引き起こし、深夜の洪水によって死者1000人を越えるような災害を引き起こしました。今年もフィリピンでは、大雨による災害が繰り返されることとなりました。
またタイでの大規模な洪水も大きな災害となりました。フィリピンを通過した台風201108号はその後ベトナムに上陸してタイに達し、北部タイに大雨を降らせました。ただしタイの洪水はこの台風だけが原因というわけではなく、そもそも今年のタイでは春から夏にかけて例年に比べて雨量が多かったのです。タイ北部で発生した洪水はゆっくりと川を下って10月にはタイ南部にまで達し、低地は長期間浸水して首都バンコクでも防衛作戦が展開されました。死者は約800人、経済的被害も甚大で、世界のサプライチェーンにまで影響を与えることとなりました。そしてこのタイの災害は、異常な大雨による天災という側面だけでなく、河川における流域管理の失敗による人災という側面でも課題を残しました。
ちなみに流域管理の失敗による人災という側面は、日本でも台風201112号の水害に関して問題となりました。大雨の前に洪水に備えて事前に放流しておけば、大雨の時は上流に降った雨を貯めこんで川の流量を減らすことができます。ところがタイの洪水の場合、ダムの事前放流が十分でなかったために、ダムの役割を果たせなくなったのではないかとの批判が起こりました。日本の場合はもう少し事情が複雑で、事前放流に関して問題になったのは治水目的ではない発電等の多目的ダムでした。こうしたダムは確かに貯水能力を備えますが、そこに貯水している水は発電などに使える「財産」なので、そう簡単に放流するわけにもいかないのです。ダムと水害の問題を考えるには、ダムを本当に最適に制御すればどのくらい洪水を防げたのかを実際に検証してみることが必要でしょう。さらに治水目的ではないダムをどのように治水計画に取り込むのか、保険などの金銭的な問題も含めて検討していくことが今後の課題になると思います。
台風の活動度
今シーズンの台風の活動度ですが、災害情報データベースの台風強度指数データベースを使って、台風シーズンごとの強度指数を調べてみます。すると2011年はどちらかというと弱い年となりました。発生数が少なかったのに加えて、発達するのに時間がかかる台風も多かったことから、それほど活発ではないシーズンとなりました。ただ東南アジアに大きな被害を与えた台風はどちらかというと弱い台風であり、活動度と被害度は必ずしも一致するものではありません。
災害が多発した2011年
2011年の日本は災害が多発した1年でした。台風による災害としては台風201112号による災害が特に大きいものでしたが、それに加えて東日本大震災を抜きにして2011年を振り返ることはできません。この地震が起こるまで、私は地震情報を当面は研究対象にしないと決めていました。一見すると台風情報と地震情報は災害情報として似たようなものではないかと思えるかもしれませんが、実際には両者の性質はかなり異なっています。例えば台風は予報できますが、地震は予知できません(緊急地震速報がせいぜい)。台風情報で構築したシステムをそのまま地震情報に当てはめても、状況が異なるのであまり効果的ではありません。両者を統一的に扱うことは難しい以上、当面の間は台風情報に集中しようというのが東日本大震災前の私の考えでした。
しかし、地震の状況はあまりに衝撃的でした。いくら地震情報を研究対象にしないと決めていたとしても、この事態を見過ごしているようでは研究の存在意義はないと思いました。そこですぐに地震関連情報の集約と整理を開始しました。数日後には2011年3月 東北地方太平洋沖地震関連情報というページを開設し、そこに様々なコンテンツを追加していきました。そのあたりの経緯については、福島第一原発周辺の風向・風速を公開しましたや、東北地方太平洋沖地震後の活動 - 5月末時点での状況などにも一部をまとめています。
ただ、私にできることは限られていました。中でも悔まれるのは、福島第一原発事故に素早く対応できなかったことです。原発事故で拡散する放射性物質はどこに飛んでいくのか、それを知るための基礎的なデータとなるのが気象庁のGPVデータです。私はGPV NavigatorやVertical Typhoonプロジェクトの関係で、それらのデータをすでに手元に持っていました。そこには原発周辺の風向きデータも入っており、後から振り返ってみれば、どの方向に放射性物質が拡散するのかという情報を読み取ることもできました。ちなみに情報公開で問題となったSPEEDIも、シミュレーションの元となるデータは気象庁のGPVデータなのです(モデルの比較)。風向きだけでは放射性物質の拡散状況を読み取ることはできないにしても、このデータを素早く見易い形で公開できていれば、それを避難に活用できた人もあるいはいたかもしれません。しかしデータの公開準備作業には、予想以上の時間を要してしまいました。福島第一原発周辺の風向きマップをようやく公開できたのは3月22日。原発から福島そして関東へと大量の放射性物質が放出された日には間に合いませんでした。自分の住む東京にも放射性物質が流入する中で公開作業を続けながら、「ああ、あと1日あったら。。」と悔しく思ったことを覚えています。
災害後の対応は一刻を争います。災害が発生してから新しいシステムを構築していたのでは間に合いません。私の場合は「デジタル台風」で多くのデータをすでに集めていましたし、データを処理するためのツールもある程度は揃えていました。しかしそれでも、それらをつなげるためのわずかな隙間を埋めるために費した数日間のロスが、災害の発生に間に合わないという結果につながったわけです。ありあわせのデータとツールを使っていかに迅速に対応するか、その方法論が私の中でも十分に整理できていませんでした。今だったら違う方法で公開作業を進めるかもしれません。どのシステムでも最初の災害では「間に合わなかった」という悔しい体験を味わい、それを教訓にして改善を続けていくことになるのでしょう。永遠に終わりはないのだと思います。
今回の震災で活躍した素晴しい例として、大震災直後の12日10時半に公開して多くの人々に利用された、ホンダのInternaviによる「通行実績情報マップ」を挙げておきましょう。このシステムも、2004年の中越地震から研究を開始し、2007年の中越沖地震に初めて通行実績情報を公開するという実績があったからこそ、東日本大震災の翌日に公開するという迅速な対応が可能になったのです(参照)。このようなスピードを実現するには、長年をかけて備えを充実させていくしかないと感じました。
地球温暖化対策の枠組みにも転機
最後に、毎年取り上げている地球温暖化の問題にも触れておきましょう。今年の話題となったのは、京都議定書の枠組みが崩れたことでした。日本、カナダ、ロシアが京都議定書の延長に参加しないことを決めたため、京都議定書は結局ヨーロッパ中心のローカルな枠組みになってしまいました。京都議定書が採択された15年ほど前に比べると、現在の世界には新興国という大きな勢力が登場したため、ヨーロッパが主導する形で先進国と途上国の間をつなぐという枠組が実態に合わなくなったという要因が大きいように見えます。そして、その代わりとなるモデルは未だに見えていません。
それに加えて日本では福島第一原発事故が発生し、温暖化ガスの削減シナリオに大きな変更が迫られることにもなりました。日本はこれまで多くの発電所を建設してきましたが、今後も増える電力需要に対して原子力発電所をさらに増設することで、温暖化ガスの排出を削減しようというのが従来のシナリオでした。しかし各地の原子力発電所が停止することで、休止中だった効率の悪い旧型火力発電所までも運転再開せざるを得なくなり、温暖化ガスの放出は逆に増加しつつあります。もちろん再生可能エネルギーの導入は増やしていくべきですが、すぐに既存の火力発電所を置き換えるほどの実力はありません。このような差し迫った状況が、日本の京都議定書不参加という意思決定への後押しになったのかもしれません。
そして世界に目を転じても、2011年は地球温暖化対策シナリオに不透明感が増してきたという印象を受けます。世界的に不景気が広がって政府の財政赤字も膨らむことで、地球温暖化対策に資金を投じる主体の余裕がなくなってくる可能性があります。またそうした流れはユーロの危機を通して、京都議定書を推進してきたEU自体にも波及するかもしれません。そうした不景気の時代に、新興国までを含めた新しい枠組みを作り出していくことには大きな困難が伴います。果して地球温暖化対策はここで止まってしまうのでしょうか。
私自身はそうした状況があっても、地球温暖化対策を中心とする環境対策はこれからも進んでいくと考えています。しかしその手段は変わるかもしれません。東日本大震災でも、「計画停電」のようにトップダウンで強制力を適用していく方法には大きな問題がありました。各地の「節電」を積み上げていくような、ボトムアップの自主的な取り組みを促進していく方法も欲しいところです。そのように強制力を伴わないやり方では、地球温暖化をあるレベルで「確実に」止めることは難しいかもしれません。また京都議定書の枠組を続けることで、これまで構築してきた排出権取引制度という「ビジネス」を守りたいという大人の事情(?)もあるかもしれません。ただ、最終目的は広くいえば環境問題の解決にあるわけですから、あくまでそこに焦点を合わせていきたいところです。そのために日本としては、京都議定書に参加するかしないかとは関係なく、環境対策の先進国を目指すという目標は掲げ続けて欲しいと思います。
今年の台風201112号による記録的な豪雨が地球温暖化によって生じているのか、個々の事例に関して地球温暖化の定量的な影響を論じることには困難が伴います。放射線による影響と同様に地球温暖化による影響も確率的なリスクであるため、「必ず起きる」と言えないところに理解しづらい点がありそうです。そうしたリスクをどうやって評価して今後の生き方を決めていくか、これからの時代における重要な課題になると考えています。その課題に対して私に何ができるか、まだ具体的には見えていませんが、今後は何らかの試みをしていければと思っています。
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